冨カンと私part2(1990年10月〜90年10月まで)

0年10月の改変期は火曜日のRIPサービス本部担当の田口常務と、
木曜日の伊集院副社長が退社、かわって火曜日は秘書室長として鉄崎
幹人(鉄サマ、みっくんと呼ばれてましたね)が、木曜日には常務として
松本典子(あのアイドル・・・は芸名ですが、こちらは本名のタレントさん)
が担当することに。当然ながらあのアイドルか?というカンチガイ系ハガキ
が一週目は続出するが、彼女のキャラクターでそれもすぐに収束する。

の頃の私はFMのエアチェックを趣味としていたオヤジの血筋をしっかり
受け継いで、AMの各番組のエアチェック(録音)をしていましたね〜。

冨カン、ラジオヘッドライン、ラジオ朝市、荒センのラジオが一番、
多田しげおのそれいけ!もっにっこりワイド、オールナイトニッポン・・・

組名を見ていただければお気づきの方もいらっしゃるでしょうが、なぜか
タクシードライバーや主婦向けの朝・昼の番組にも興味があったんですね。
で、面白いのが私が興味を持ったのが「番組のジングル」なんですよ。
(ジングル:CM明けなんかに流れたりする番組名を言うアレですね)
今も古いテープを掘り起こすとオールナイトニッポンのジングルが出てきたり
します。特に一番録音していたウッチャンナンチャン、松任谷由実のANNの
ジングルは頻繁に登場します。
※♪オ〜ルナイッ(チャチャチャッ)ニッポン!ってジングルがアタマを
駆け巡ったアナタは同じ時代のANNを聞いていた証拠ですね(^^)

少ない小遣いで買ったCDや、AM・FMのエアチェックで録音した曲をテープに
入れる時に曲間にジングルを入れてノンストップ状態にするのが好きだったなぁ。
(ちなみに初めて買ったCDはKANの「愛は勝つ」でした)

た、90年10月は冨カンにとって因縁浅からぬ人物が水曜日に登場した
時でもありました。そうです、後半のDJ研修講座はのちに火曜の主任秘書に
就任する「久松史奈」が担当してましたね。
中学校の生活にも慣れてきて、名古屋へ遊びに行く余裕なんかも出来てきた
この頃から名古屋市内の主要駅などにあった「NAMOS(ナモス)」の端末で
番組宛にネタを送るようになりました。全曜日通しで23:10過ぎからNAMOS
で寄せられたネタを紹介する「なんでもOAルーム」というコーナーがありまして、
私にとって番組終了までで一番読まれる回数の多かったコーナーでした。
(つづく)